メディア芸術コース2023パンフレット|多摩美術大学
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10■■■■■■メメデディィアアララボボ[インスタレーション・立体]【People Gaming People】作品群総称ゲームを体験している身体や習慣を表現として捉え、現実と仮想世界の体験をエンパワーさせることが目的とした作品群。自身のゲーム依存症の経験を踏まえて、人々には現実でも有意義なゲーミングライフを送っていただきたい。【ゲーミング脳ラムネ畑】自身がゲーム漬けであった頃、食事はラムネと水のみの日々を過ごしていた。そんな不摂生なゲームプレイヤーの口内で溶ける現象を比喩し、ラムネと水を持続的に消化・吸収できる畑を模したインスタレーション作品。【己がソフト】本作品は人々をカードリッジに見立て、パッケージ内で型どることによってその人物専用の容器と化すものだ。型どられた体験者の痕跡は現実での存在を証明するものとなり、ゲーム内だけではなくリアルでの自己の再形成を示す。メディアとは、何かと何かを繋ぐもの、そして私たちの思考や表現の基盤となる枠組みです。メディアラボでは、このメディアという普段は意識し難い何ものかに着目し、その歴史的な意味や、技術的な可能性、社会的な役割をすることを出発点に、作品制作を行っています。3〜4年生のゼミは、共通の課題を設けることなく、学生一人一人が自ら個別のテーマを設定して制作を進めていく、プロジェクト型のアプローチで行っています。作品を作る時に大切なのは、作品そのもの、あるいはその内側を見つめることだけでなく、作品が置かれている状況や文脈、背景としての歴史や社会に目を向けることです。メディアラボでは、現代のさまざまなメディアを批変容していくことを通じて、(非)人間や未来(過去)の可能性を、多様な形式で複合的に表現することを目指しています。[インスタレーション]私が「パソコン」と関わるとき、私は指でキーボードに触れる。このとき「パソコン」からすれば、私という人間は指だけの存在となるのだろうか。私は自分の部屋にある「モノ」が「私」を擬物化するとどうなるのかを考えてみた。擬物化というのは、擬人化の逆、つまり人間を非人間基準で見立てることである。「擬物化された私」は「私」という人間ではあるものの、人間とはまるで異なる姿・動きをするヘンテコな存在に見える。ある「モノ」にとっての「私」がどのような表象として捉えられていると想像することができるか、擬人化のような人間を基準とした見方とは逆の方法で人間・モノの存在を捉えようとすれば、それは人間と非人間の立ち位置を入れ替えるかも知れない。評的に交錯させ・青山 莉奈 People Gaming People担当教員 久保田 晃弘/谷口 暁彦大岩 雄典/小田原 のどか/山形 一生古山 寧々「☆¿※◉♯」が私を擬物化すると(なんちゃらかんちゃらがわたしをぎぶつかすると)MediaLab.

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