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【許寧(シュ・ニン)】多摩美で学んだ6年間の集大成として、「自由と意力」を油画で体現した作品が『アートアワードトーキョー 丸の内2020』でグランプリを受賞

全国の卒業修了制作展から新たな才能を発掘する若手アーティストの登竜門『アートアワードトーキョー 丸の内』。2020年度は5,200点以上の候補作品の中から、20年大学院油画修了の許寧(シュ・ニン)さんの修了制作『Oil Painting in history - Freedom』がグランプリを受賞しました。「この作品は多摩美で過ごした6年間の集大成」と語るシュ・ニンさんに、作品に込めた思いや学生時代のエピソードなどをうかがいました。


許寧(シュ・ニン)さん
『アートアワードトーキョー 丸の内2020』グランプリ受賞作品『Oil Painting in history - Freedom』 の前で2月10日、小山登美夫ギャラリーにて撮影

3メートル超えの
「巨大な四角い世界」に共存する
緻密な線と色彩の偶然性

―― グランプリ受賞作品を鑑賞させていただき、まずその大きさに圧倒されました。作品制作にはどのくらいの期間を要したのですか?

この作品は完成までに3カ月近くを費やしました。以前からずっと、大きなキャンバス一面を使って作品を作りたいと思っていたのですが、今回初めて横幅3メートルを超える大作に挑みました。実際には、500号という特大サイズの木枠を2つ組み合わせ、キャンバスもそれに合わせて特別に注文しました。木枠を組み立てるだけでも大変でしたが、同級生たちの協力のもと油画のアトリエの壁面を最大限に活用し、制作に没頭することができました。

―― 緻密な筆使いや色彩、絵の具の盛り上がりによる凹凸感などが印象的ですが、具体的にはどのような技法で描かれたのですか?

作品を制作する際には時計回りに描いていくことが多いのですが、この作品も、画面の右横から描き進めていきました。毎日変化する自分の気持ちやその日のリアルな出来事なども、作品の仕上がりに影響しているように思います。技法としては、穂先の細い面相筆を使って色面や極細の線を一筆一筆重ねて描いています。また、ドリッピングによる絵の具のハネや垂れ、かすれといった偶然性、そして色の重ねによる絵の具の盛り上がりを共存させ、自分なりの「巨大な四角い世界」と向き合いました。実は、私は絵を制作する時には下描きをほとんどしないんです。その時々の感情の赴くまま、たとえ失敗をしても、消したり直したりすることはありません。一瞬の筆の中にこそ「真実」があり、そのすべてに価値があると考えているからです。

―― 作品作りにおいては中国の古代思想や宗教絵画、ドルチェ&ガッバーナの装飾などにも影響を受けたそうですね。

7歳の頃から母国・中国で水墨画を習っていたこともあり、中国の歴史や古代思想には大きな影響を受けました。また当時から『ELLE』や『VOGUE』といった雑誌で目にするブランドの中で、ドルチェ&ガッバーナが大好きだったんですね。色鮮やかなファッションだけでなく、時代に挑戦する革新的な精神性にも触発されました。多摩美の学生時代には、授業を通してネーデルラント絵画をはじめとする宗教絵画と出会い、強く惹かれました。実際にオランダやベルギーを訪ね、600年も昔に描かれた作品を見た時はそのリアリティに圧倒され、その体験が絵画を描くことの本質を深く考えるきっかけになりました。今回の作品の中で象徴的に使っている「赤」は、聖母マリアの服の色でもあり、宗教絵画では血や愛を意味し、中国の陰陽五行説においては吉祥を表します。子どもの頃に親しんだ東洋の文化と、相反する西洋への憧れ、そしてさまざまなジャンルの事象に影響を受けて今の自分があるのだと思います。

『Oil Painting in history - Freedom』の一部分。面相筆による緻密な線、ドリッピングによる絵の具のハネ、かすれなど、一筆の積み重ねの中にある真実と向き合い、ありのままの自分を作品の中に追求する。

自分をさらけ出す勇気から生まれる
「真の美しさ」を求めて

―― シュ・ニンさんの作品は「一筆の美しさ」と「空間美」についても高く評価されています。絵を描く時には、どのようなことを意識されるのですか?

実際の制作においては「美しい線」を描こうと意識するよりも、ありのままの「線」を表現することを大切にしています。美しく描こう、上手く描こうとすればするほど、失敗するのが怖くなって臆病になってしまうからです。大学に入る前、予備校で絵を描いていた時の私は、美しさにこだわっていたように思います。でも、それが本物の美ではないことを、多摩美に入って絵を描き続ける中で学びました。たとえば、思わぬところに絵の具を落としたことによって現れた自然な色の滲み、ドリッピングから生まれたハネやかすれ・・・。偶然のように見えて、実はその中にこそ、一筆の積み重ねによる真実があるのではないかと感じるようになったのです。たとえ今の自分がカッコ悪くてだらしなくても、作品と向き合う時には「素」のままの自分をさらけ出すことが大事です。作品を見る人にも「ありのままの自分」を届けたい。決して簡単なことではありませんが、自分もそこに近づきたいという意識を持って絵を描いています。

―― 今回の受賞作は「自由と意力」という本学の理念を体現したものとうかがいました。

はい。その通りです。私は絵画を通じて常に「自由とは何か」を追求してきました。絵を描いていると、自由とは生きることそのものではないかと感じます。「自由」の解釈は人ぞれぞれですが、本当の自由を手に入れるためには、さまざまな困難を乗り越える強い精神力=意力が必要だと考えています。そして私が絵を描く意味は、多摩美が掲げる「自由と意力」とまったく同じであり、この作品は多摩美の理念を私なりに体現した形となりました。そもそも美術を学ぶ人たちにとって、自由な心でいることはとても大切です。私はこの広大なキャンバスを移りゆく自然に見立て、「心の自由」を最大限に表現しようと思いました。たとえば画面に表れた線が、時に葉っぱや花びらや鳥に姿を変え、また、蜘蛛の巣の糸や髪の毛になり・・・。描く中でさまざまなものへと変化していき、そのすべて受け止めながらキャンバスの中に記録したのです。絵画を描く時にはあまり下描きをしないと言いましたが、何の下準備もなくこの作品が完成したわけではありません。大学時代に見聞きしたこと、授業で学んだこと、そこから広がっていったインスピレーションや膨大な時間のすべてをこの作品に凝縮させました。私が多摩美で過ごした6年間の集大成とも言えるのです。大学生活をしめくくる修了制作が、『アートアワードトーキョー 丸の内』という大きな展覧会で賞をいただくことができたことを本当にうれしく思い、心から感謝しています。


多摩美の教育環境をフル活用し、
制作に没頭した日々

―― シュ・ニンさんは在学中、どのように学ばれていたのでしょうか?

大学と大学院時代を含め、多摩美の学生生活の中で私は本当にたくさんのことを学びました。油画ではテンペラの技法講座を受講し、宗教絵画の技法などについても詳しく勉強しました。13~14世紀のネーデルラント絵画に興味を持つようになったのも、テンペラ絵画との出合いがきっかけです。共通教育科目では、映像論、近現代美術史、西洋美術史、材料学、写真学、解剖学など、油画に直接関係ない授業も多く履修しました。どれも興味深く、全部受けてみたい! と思ったほどです。授業の中で耳にした先生のちょっとしたアドバイスからヒントを得て、作品に生かすことも多くありました。学部の4年間で修得した単位は、気がついたら必修単位数の124単位をはるかに超えていました(笑)。

大学に入ったばかりの頃は、絵画東棟の上にあった自由デッサン室によく通いました。石膏像がたくさんあって、そこにこもってひとり黙々とデッサンを描いたりしていましたね。2年生になって日本語にも慣れてくると、図書館をフル活用するようになりました。自宅からスーツケースを持って学校へ行き、片っ端から気になる画集を借りて帰りました。当時没頭していたネーデルラント絵画は日本であまり展示されることがなかったので、画集や図鑑をひたすらコピーして、絵を描くための参考資料を作ったりしていましたね。それを目の前に広げながら絵を描くこともありました。そして作品が仕上がるたびに先生をアトリエに呼び出しては見てもらったり、アポなしで作品を見せに行ったり・・・。今思えば、かなり強引な学生だったかもしれません。でも、先生に顔を覚えてもらえたことで、大学院生しか受けられない授業を傍聴させてもらったこともありました。毎朝8時には学校に来て、退構時刻ギリギリまでいましたから、自分の家で過ごすより長い時間をキャンパスで過ごしたことになります(笑)。豊かな環境の中で、毎日多くの先生方や先輩・後輩と共に学んだ時間があったからこそ、今があります。多摩美の学生時代は本当に良い思い出ばかりです。


学生時代は「大学で過ごす」ことに、
想像以上の大きな意味がある

―― 今回の受賞は将来にどのようにつながると思いますか?

賞を取るということは将来の自信につながる大きなステップになると思います。でも作家として過去の栄光にとらわれていては、今後の成長はありません。賞をいただいたことを、多摩美で過ごした素晴らしい学生時代の思い出と共に心の中におさめ、作家として賞に恥じないように進化し続けていきたいと考えています。ここからまた新たにスタートを切り、次につなげていきたいですね。

―― これから本学への入学を目指す高校生や多摩美の後輩たちにメッセージをお願いします。

私は多摩美に合格するまでに7年かかってやっと入学できたこともあり、大学生活を1日たりとも無駄にしないよう毎日精一杯学び続けました。カリキュラムも大学の施設も人一倍活用しました。私自身の経験からも、これから多摩美で美術を学ばれる皆さんには、在学中に大学と積極的に関わってほしいと思います。画家、デザイナー、映像作家など、それぞれに目指すゴールは違っていても、共通して言えるのは、学生時代は「大学で過ごす」ことに、想像以上の大きな意味があるということです。多摩美にはその価値があり、たくさんの素晴らしい先生方をはじめ、感性を磨くための十分な設備が整っています。皆さんも「自由と意力」を理念とする開かれた環境の中で自律心を育み、仲間と切磋琢磨しながら、未来に向かって大きくチャレンジしてほしいと思います。


許寧(シュ・ニン)
許寧(シュ・ニン)

20年大学院油画修了

1979年北京生まれ。北京の首都師範大学油画専攻専科卒業後、2006年家族とともに日本へ移住。2020年多摩美術大学大学院博士前期課程(修士課程)絵画専攻油画研究領域修了。同年アートアワードトーキョー丸の内2020グランプリ受賞、第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)入選。現在は神奈川県を拠点に制作活動をおこなっている。