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「もの派」やインタラクションのアーカイヴ化についてなど、第2回アートアーカイヴシンポジウム開催レポート

12月7日、八王子キャンパスで第2回多摩美術大学アートアーカイヴシンポジウム「アートアーカイヴとは何か」を開催し、学生や大学関係者、美術に関心のある一般の方など約130名が参加しました。昨年春に行われた第1回シンポジウムでの「日々研究や制作に取り組む教員・学生らとともにある美術大学が成すべきアートアーカイヴとは」という議論を出発点に、今回は、本学でアートアーカイヴを構築する教員および理論家、建築家、写真家、映像作家が一堂に会し、「アートアーカイヴの現状」「写真アーカイヴのこれから」「言語と美術のアーカイヴ化」という3つの方向から、その可能性を展開しました。



竹尾ポスターコレクションに3万件のタグ情報を登録
統合的なアーカイヴシステムの構築を目指す


第1部では、本学のアートアーカイヴセンターが重点的に取り組んでいる3つのプロジェクトの成果報告が行われました。

グラフィックデザイン学科の佐賀一郎准教授は1998年に株式会社竹尾より本学に寄託された近現代の貴重なポスター約3200点のデータベース構築に携わっています。1枚1枚のポスターおよびデザイン特有の概念や技術を8年かけて記録。さらにその基本情報と拡張情報を「タグ」に変換し、それぞれの作者および作品に付与することに取り組み、現在、約3万件のタグ情報が登録されるまでに至りました。

それにより、検索機能の向上や作家間の類似度計算、レコメンデーションシステムなど、特色ある情報提供の機能が実現。これを本学が保有する他のコレクションにも連携し、統合的なアーカイヴシステムの構築をめざしています。

加えて報告では、タグを活用したデータ解析と視覚化の可能性について言及し、「それらのシステムに触れる学生を通じて、新たな活用法を検討し、創造の場を生み出すことが重要である」と話しました。竹尾ポスターコレクションの学生研究会を2019年に立ち上げ、メンバーにデータベースのIDを付与。実際に活用してもらい、学生がそれぞれ選んだポスターに関する研究発表を行うワークショップを開催するなどしています。

▲ タグが構成する情報空間を抽象化、視覚化した3Dアニメーションを解説する佐賀准教授。ここから何を読み取れるかという視点でものを見ることに新しい可能性が潜んでいると考えている。

「何をアーカイヴすべきか」「作品の本質はどこにあるのか」
インタラクションの『存在論』を考える

▲ 《Eye-Tracking Informatics(アイトラッキング・インフォマティクス)》/2018年1月にYCAM(山口情報芸術センター)で行われたアップデート版制作作業の様子

2015年1月2日に急逝した、元情報デザイン学科教授でアーティストの三上晴子が、2011年に制作した《Eye-Tracking Informatics(アイトラッキング・インフォマティクス、以下ETI)》。久保田教授は、2019年にYCAMが再制作したこの作品を具体的に取り上げながら、「新しい創作」につながるような、生成するアーカイヴの研究に取り組んでいます。

ETIは、視線検出用デバイスを装着した体験者が、自らの視線の動きが生み出した3次元仮想空間内の動的構造物を「視る」ことによる、インタラクティヴなメディアアート作品です。久保田教授の研究の中心は、このテクニカルなメディア・インスタレーションであるETIの再展示(再体験)を通じて、「インタラクティブ・アートの何をアーカイヴすべきか、作品の本質はどこにあるのか」を探求することです。

「インタラクションのアーカイヴを考えるということは、インタラクションの『存在論』を考えるということ。いまだ深い議論のされていないこのテーマを少しでも多くの人と考えていきたい。ETIのアーカイヴを次の世代に伝える意義はそこにある」(久保田教授)

インタラクションがどういう構造をもっているかを、より明確な形式で表現できる『共通言語』があれば、インタラクションの本質に迫れるのではないか。そうした考えから、久保田教授は現在、数学の圏論を使って、インタラクションのダイナミクスを記述し、それをアーカイヴの設計に反映しようとしています。

▲ 個別から普遍へ。インタラクションの持っている意味、具体的な方法論を語る久保田教授。

「もの派」の作家の活動をとらえた794コマの写真から
撮影順序を復元し、撮影場所を同定

「もの派」は1970年前後に本学出身のアーティストを中心に展開された現代美術の動向のひとつで、近年、国内外でその重要性が改めて注目されています。本学アートアーカイヴセンターは2015年度から、埼玉県立近代美術館と共同で「もの派」関連の写真や映像資料を中心に調査・研究を進めてきました。

今回の報告ではまず油画専攻の小泉俊己教授から本調査・研究の概要の説明があった後、「もの派アーカイヴ」を中心となって進めてきた芸術学の上崎千さんが、「もの派」の作家たちの活動を数多く記録してきた美術写真家の安齊重男さんと映像作家の中嶋興さんの写真資料から794コマもの写真を紹介しながら、どのように撮影順序を復元し、撮影場所を同定し、定義を一覧化していったかということについて解説しました。

報告の終わりには、上崎さんがこの資料体を管理するにあたってのモチベーションとして、『美術手帖』1970年2月号に掲載された「もの派」の作家たちによる座談会記事『「もの」がひらく新しい世界』のなかから、関根伸夫(1942-2019)の「美術史がなくても十分に成り立たないといけない」という言葉の前後の一連の記述を抜粋して紹介しました。当時の作家たちがどういう思いで制作に取り組んでいたのかがこの日聴講に訪れた人々に伝えられ、記録を残すこと、それをアーカイヴすることの意義を体感することができました。

▲ フィルム切断部の形状などを手掛かりに、全フレームの撮影順序を復元する作業や被写体の同定作業を行い、今年、データを更新したとのこと。

ジャン・ルーシュの映像とゲーテ・インスティテュートより寄贈された写真から
アーカイヴを考える

第2部では、情報デザイン学科の港千尋教授と芸術学科の金子遊准教授が、映像と人類学、写真から考えるアーカイヴについて論じました。

前半は、昨年10月に上梓された金子准教授の編著書『ジャン・ルーシュ ──映像人類学の越境者』をもとに、世界の映画史において最も重要な監督の一人であるジャン・ルーシュの作品や撮影工法などについての考察から入りました。フランスの映画監督で文化人類学者のジャン・ルーシュ(1917-2004)は、ヌーヴェルヴァーグの映像作家として知られています。数多くの作品を残していますが、人類学の観点からみて一番重要な仕事が「シネトランス」と呼ばれる、アフリカ・ニジェールの憑依儀礼を記録した作品群です。ドキュメンタリーとは異なり、カメラも憑依儀礼のなかに入り込むような特有の映像表現を生み出しています。

「ジャン・ルーシュが映像作家として活躍した1950~60年代の制作環境は、現代とは大きく異なる。この時代の映画を理解するためには、アーカイヴが不可欠」(港教授)

「映像人類学というジャンル自体がアーカイヴ的。すでに廃れきっている伝統社会や無放置社会の言語自体を保存してアーカイヴ化するが、それを誰のために使うか。ジャン・ルーシュは『共有人類学』という言葉を用い、過去にアーカイヴした映像を通じて失われた伝統や文化を当事者に戻していく活動をした」(金子准教授)

後半は、港教授がゲーテ・インスティテュートから本学に寄贈された写真集のなかからセレクトした、ドイツのフォトブックプライズ受賞作品集など時代の様相を捉えた写真集を投影しつつ、人類学と社会学のイメージについて論考を展開。金子准教授はそれを受けて、「デジタル写真の1枚1枚が芸術性をもった価値のあるアート写真になるかといえば、そうではないと感じた。大きなプロジェクトとして撮影し続け、ひとつにまとめてアウトプットしてはじめて個展や写真集といった作品になる。それはいわば自分の写真をアーカイヴ化していく行為に等しい。アーキヴィズムが写真家のなかにインストールされていないと、現代のデジタル写真でアートを作っていくのは難しいのではないか」と話しました。

▲ 金子准教授の編著書『ジャン・ルーシュ ──映像人類学の越境者』を切り口に対話する港教授(写真左)と金子准教授

河原温の<ONE MILLION YEARS>と青木淳の『透明梁』が一つに
「アーカイヴとは、片付けること」

第3部では、DIC川村記念美術館で開催された「言語と美術―平出隆と美術家たち」展を企画し、その展覧会のアーカイヴ化に取り組んできた芸術学科の平出隆教授と、同展の会場構成を行った建築家で環境デザイン学科の青木淳客員教授が対話を行いました。まずは平出教授から、聴衆に対話を理解いただくにあたっての前提となる2つのお話がありました。

1つめは、昨年12月に本学図書館が創設した「河原温ブックアート・コレクション」について。2つめは「言語と美術」展で青木さんが設計した『透明梁』が図書館に寄贈され、恒久設置されたことについて。そして、この2つが結びついて1つになったこと。現在、図書館の一隅の宙にかかる横長12メートルの透明梁の中には、人類の連鎖する声を形象化する、河原温の<ONE MILLION YEARS>のCDが積層されています。

▲ 出会いのきっかけから、ともに展覧会を作りあげるまでを語った平出隆教授(写真左)と青木淳客員教授。スクリーン画面は八王子図書館に恒久設置された『透明梁』。

対話では、平出教授と青木さんの協働による「言語と美術」展の設計意図や、展示自体をどうアーカイヴしたかということについて、世界的現代美術家である河原温(1932-2014)について、また、その資料を託された経緯、図書館での設置時のエピソードについてなど、多岐にわたって語り合われました。

平出教授は対話の終わりに、「河原温の作品や生き方からは『どうやったら片付けができるのか』ということを常に教えられる。終活のようなことがアーカイヴなのではないかと思えてならない。大学にも先生方が残された宝物のような作品がたくさんあり、今、それを片付けようと立ち上がった。アーカイヴとは『片付ける』ということなのではないか」と話し、「アーカイヴとは何か」というテーマに対しての一つの答えを提示しました。

それを受ける形で、今回のシンポジウムの司会を務めた芸術学科の安藤礼二教授が、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926-1984)と日本の博物学者・南方熊楠(1867-1941)が、それぞれ違う時代を生きていたにもかかわらず、2人とも19世紀フランスの両性具有者エルキュリーヌ・バルバンに共感し、その記録を残していたことを例に挙げ、「アーカイヴは個人の自己統一性が失われる幸福な状態。時間と空間、男性と女性、生きている人間と死んでいる人間といった区別がなくなる。『私』が失われることによって『新しい私』がどんどん生まれる場所、それが『アーカイヴ』ではないか」と述べ、約6時間に及んだシンポジウムは終了しました。

▲ 本シンポジウムの司会を務めた安藤礼二教授(写真右端)